双極性障害の私が、両親との関係について語るのはとても勇気のいることだ。
色々と感じることがあるので本当は書きたくないが、これは語る必要があると思う。
はっきり言って、私は両親には多大な迷惑をかけたと感じている。病気が影響していた可能性はあるだろうが、決して病気のせいだけにはできないと思う。
私が幼い頃は何不自由なく育ててもらった。やりたい事はさせてもらったし、欲しい物は買ってもらった。それについては感謝している。ただ、私はかなり甘やかされて育ったようにも感じる。なんとなく過保護に育てられているように感じて、それが嫌で反発したこともあった。
しかし、結局私は両親に依存していたように感じる。それは大人になってからもそうだった。
自分の人生を生きるんだとカッコの良い事を言いながら、困った時は親を頼る。
本当に情けなかったと思う。
20台前半でサラリーマンを辞め、看護師の道を選んだ。そして、結婚して子どもが出来てマイホームも持った。
自分も幸せになれると思ったし、これで親を安心させてやれるとも思った。
ここまでは、良かった。
それから長く病気に振り回されるようになる。
どうすれば解決できるのか分からず苦しんだ。地獄だった。本当は自分自身の力で解決しなければならなかった。今では、病気との付き合い方も少し分かってきて落ち着いた生活が出来ているが、当時は自分ひとりで問題を抱えて解決することが出来なかった。
私は両親を巻き込んでしまったのだ。
不安定だった私は、両親に下記のような言葉を浴びせたのだ。
〇あんたらのせいで病気になった
〇健康な体をくれ
〇健康なあんたらに俺の気持ちが分かる訳ない
〇生まれて来なかった良かった
〇代わってくれ
〇死にたい
みなさんはどうお感じになるだろうか?
私は最低である。
しかし、当時の私は本当にその程度の人間だった。やはり私は大人になってからも両親に依存していたのだ。
どうにかして病気を克服しなければならない。自分自身の力で。
いつまでも親に頼って、迷惑をかける訳にはいけないと感じるようになった。
そこから、病気と真正面から向き合うようになっていく。
恥ずかしいとか、カッコ悪いなど言っている場合ではない。何が何でも生き抜かなければならない。私だけの人生ではない。家族を巻き込む訳にはいかない。
自分自身で解決しなければならない。
私は誰かが歩いた道を歩くことはできなかった。自分で道を切り開いていくしかなかった。とにかく必死だった。
そして当事者会の運営をしたり、カミングアウトして働くことを決めたり、ブログやTwitterで情報発信をしたりと病気を受け入れた生活をするようになっていった。
ここ数年で、ようやく自分が生きやすい人生を歩むことが少しずつできるようになってきた。そして、ようやく両親への依存が消えてきたように感じる。
病気を克服するためには、自分自身の自立が不可欠だと感じた。
それは、金銭的や物質的というより、精神的な自立である。
双極性障害という診断を受け、両親を恨んだ時期は長くあった。
しかし、今思えば、両親も必死に私を育てたに違いない。私自身が親となり、両親の気持ちが少し分かるようになってきた気がする。
双極性障害という病気になって、病気を克服するためには精神的な自立が必要だと感じるようになり、今の私は両親からの依存が少しずつ消えつつある。
もしも私が双極性障害とならなかったら、一生両親への依存は消えず、甘ったれた人生を送ったことだろう。
私が双極性障害となったのが、良かったのか悪かったのか今では分からないが、いずれにしても幸せな人生を歩むためには、両親への依存を脱し、自分自身がしっかりと精神的に自立することがとても重要であると感じる。
私は照れ臭く、面と向かって両親には言えないだろうが、本当は次のように言いたいと思っている。
「本当に申し訳なかった。ここまで育ててもらい、心から感謝している」